恋路海岸

恋路海岸

能登町と珠洲市の境界付近に位置する「恋路海岸」は、能登半島を代表する観光地として知られており、縁結びのパワースポットにもなっています。能登半島の内浦を象徴する穏やかな波と、白砂の美しい浜を合わせもつ光景は、訪れる人々の心を癒してくれます。恋路という名から、「ラブロード」とも呼ばれており、縁結びスポットとして恋人達や女子から人気を誇っています。奥能登の美しい海岸を訪れてみませんか?

波穏やかな内浦を象徴する海岸
悲恋伝説を偲ぶ、恋路物語のモニュメント

海岸付近には、寄り添うように座る青年と娘のモニュメントがあります。この青年と娘は、深い愛で結ばれた「助三郎」と「鍋乃」です。およそ700年ほど前に深い愛で結ばれていた2人の間に、鍋乃に想いを寄せる男が現れ、助三郎は男が仕掛けた罠によって恋路の海に命を落とし、その後、鍋乃も後を追って海に身を投げるという悲しい恋の伝説が長い時を経て今もなお恋路海岸に残っています。そうしたことから、この海岸一帯は「恋路」と呼ばれるようになり、2人を偲ぶ像が建てられました。銅像の目の前からは、2人が人目を忍んで会っていたとされる「弁天島」を望むことができます。

恋路海岸は、その名から「ラブロード」として能登のロマンチックスポットとなっています。恋路海岸には、ハート型の「幸せの鐘」が設置されており、この鐘をカップルで鳴らすと深く愛が結ばれると言われていることから、石川県内外の恋人達が訪れる、人気の観光地です。お越しの際はぜひ鳴らしてみてくださいね。

「ラブロード」は、縁結びパワースポット
悲恋の二人を癒すキリコ祭り「恋路火祭り」

助三郎と鍋乃の霊を慰めるため、恋路海岸では、毎年7月に「恋路火祭り」が開催されます。その昔、村人たちが浜辺にかがり火を焚いたのが始まりとされており、お祭りには花火や大松明といった火が使用され、まさに“火”の祭典となります。平成27年に日本遺産に認定された「能登のキリコ祭り」である恋路火祭りでは、巨大灯籠「キリコ」をメインに、大小2基を男女に見立て、勇ましいかけ声を出し合いながら町を練り歩き、恋路海岸へと向かいます。花火やキリコの勇壮な海中乱舞もあり、恋路海岸は一気に幻想的な空間になります。この乱舞を見るために、毎年多くの観客が駆けつけ、浜辺は人山となります。一度は見ていただきたい能登のお祭りです。

恋路海水浴場は、平成18年をもって営業を休止していましたが、地元の方の熱い声により平成27年に「恋路ビーチ」として9年ぶりに公営海水浴場がオープンしました。海開きには、家族連れや友人連れで海岸が賑わい、各々に海に入って楽しんでいる姿を見ることができます。アットホームでプライベートビーチのような空間です。恋路海岸のすぐ近くには「体験交流施設ラブロ恋路」があり、ミネラルが豊富でリラックス効果があるとされる「海洋深層水」の湯につかることができます。能登のふるさと体験や、能登の旬の味覚を堪能できる施設なので、宿泊をご検討されている方にオススメです。

「恋路ビーチ」として海水浴場が復活
彫刻家坂坦道氏

700年以上前の悲恋伝説が残る恋路海岸。その一角に、若い男女の像が寄り添い、語り合うようにして悠久の時を刻んでいます。
 「恋路物語」と銘打たれたその像は、恋路出身の彫刻家、故坂坦道氏(98年没・享年77歳)が64年に制作したものです。同年、坦道氏は第7回日展で特選を受賞しました。
坂坦道氏は大正9年(1920)11月6日に石川県鳳珠郡能登町(旧内浦町)恋路で生まれ、父は油彩画家の坂寛二、祖父は日本画家の坂靄舟という芸術家一家であります。(昭和5年(1930)小学校3年の時に父の死亡により、母とともに北海道札幌市に移住しました。昭和13年(1938)北海中学校(現在の北海高等学校)卒業。昭和14年(1939)東京美術学校彫刻科に入学、在学中の昭和18年(1943)に新文展(のちの日展)に初入選しました。
作家活動の一方で、北海道女子短期大学で長く教授を務め、文部大臣より短期大学教育功労賞を受け、平成7年(1995)には同短大の名誉教授に就任しました。作風として道化師などの特徴的な人物像を得意としましたが、初期には世相を色濃く反映した人物像も制作していました。
平成10年(1998)77歳で死去。死後、遺族の所有していた作品群が能登町に寄贈され、平成21年(2009)能登町内浦庁舎に常設の坂坦道作品展示場が設けられました。